「 展望を欠く民主党25%削減案 」
『週刊新潮』 2009年11月12日号
日本ルネッサンス 第386回
鳩山由紀夫首相は9月22日、国連気候変動首脳会合で演説し、地球温暖化と闘うために日本は1990年を基準とし、2020年までにCO2排出量を25%削減すると発表した。
これは2005年を基準とすると30%削減に相当する数値目標だ。鳩山首相は日本が率先垂範すれば、米国も中国も発奮してついてくることを期待した。米中2ヵ国が排出するCO2は全世界の排出量の40%を優に超える。対して日本の排出量は4%だ。優等生の日本が25%という、どの国も提案さえしていない大目標を掲げれば、他国は追従せざるを得ないと、鳩山首相は考えたらしい。
しかし、現実には米中は数値目標を掲げて自らを縛ることはしなかった。日本ひとりが突出した目標値を国際社会に公約した形になった。
いま問われているのは、25%削減の達成にはどれほどの負担が必要かという点だ。政府の有識者によるタスクフォースは、10月27日、標準世帯の負担を年間22万~77万円とした。負担は企業にも重くのしかかる。新日鐵の三村会長は「日本から逃げ出さなければならない産業も出てくるかもしれない」と述べた。
民主党はたしかに、衆議院で308議席を勝ちとり、鳩山氏は首相になった。だからといって、国会での所信表明の前に、つまり、国民への説明を全くしないまま、いきなり国際社会に向けて、国民生活に深く関わってくる25%削減案を公約してよいものなのか。そもそも、民主党の数値目標はどのようなプロセスを経て精査されたものなのか。
こうした疑問を解明するために、去る10月20日、私も関係するシンクタンク、国家基本問題研究所(国基研)が研究会を主催した。千代田区の星陵会館で行われた研究会には、民主党側から、地球温暖化対策基本法案の発議者の一人、前田武志参議院議員が、財界を代表して経団連環境安全委員会委員長の坂根正弘小松製作所会長が出席した。IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の第4次評価報告書を纏めた専門家の一員で電力中央研究所の杉山大志上席研究員も参加した。
熱心に学んだ、だが…
3氏の議論から、民主党案は事前にある程度の見通しを立てて提案したものではないことが明らかになった。鳩山首相は10月7日、地球温暖化問題に関する閣僚委員会を開き、25%削減の経済効果や負担、目標値達成の具体策を検討する研究チームを設置することを決めた。具体的に何をすべきか、国民にどう説明出来るのか、それを研究するチームを漸く、立ち上げるという。言い換えれば、25%案は数字ありきだったということだ。
前田氏は、次のように説明した。
「民主党は08年1月に地球温暖化対策本部を作り、去年の通常国会で、温暖化対策基本法案を提出しました。それがマニフェストに載せた目標値です。25%の根拠ですが、民主党は野党の立場で同案を纏めたわけです。野党でしたから目標値を導き出す根拠となるデータを全部揃えてやることは不可能です」
民主党の地球温暖化対策本部での議論を主導した一人が同本部の事務総長を務めた参議院議員、福山哲郎氏である。氏には、国基研の研究会に先立って話を聞いた。その折、氏は「環境問題をライフワークにしてきた」、「温暖化問題には誰よりも熱心に取り組み勉強してきた自負がある」と語り、熱心に民主党案の正当性を説いた。
たしかに、福山氏も前田氏も熱心に学んだのであろう。だが、民主党案では、彼らの学習は、地球環境という優れて科学的な問題の解決に必須の科学的データにまったく結びついていない。むしろ、注意深く避けなければならない国際政治の罠の中に入り込んでしまっている。なぜそうなったのか。前田氏が語った。
「政権を取る1年くらい前、我々が政権を取ったときには覚悟を決めて、そういう世界(25%削減の世界)に入っていこうと、互いに意思を固めていたのです」
鳩山首相の国連演説での高揚した表情が浮かんでくる。首相もまた「覚悟を決めて」「そういう世界」に入っていったのだ。であるにしても、日本の国益を担う政治家として、入っていった世界で勝たなければならない。成果を上げなければならない。そのためには、まず、自分が何を言っているのかを理解しなければならない。だが、前田氏は繰り返す。
「具体的データというのは全くありません」「組閣をするまでは、私どもは政府へのアクセスは一切なかった。結局国会議員自身が、自らデータを集め、勉強するしかなかった」「根拠がないと言われれば、これはもうしようがないんです」
根拠もなく作成された民主党案について説明しなければならない前田氏の立場は本当に気の毒だ。同情しながらも、鳩山政権の下で日本はどこまで迷走するのか、暗い気持になってきた。
民主党の無責任
前田氏はそれでも、根拠として、IPCCが発表した報告書に「世界で出しているCO2を現在の400億トンから200億トンまで半減しなければならないとあった」ことを述べた。対して杉山氏が、やんわりと反撃した。
「IPCCは世界気象機関と国連環境計画が共同で設立した機関です。世界各国の科学者が種々の科学論文を集め、このような情報がありますと、提示します。しかし、2050年までに50%減らすべきだとか、その種の数字を提言したことはありません。その種の提言をするのはむしろ、ヨーロッパや日本の政治家や行政官の方々です」
IPCC報告は、如何なる意味でも、具体的環境政策を提案するものではなく、単に、種々の情報を、各種論文から拾い集めたものだというのだ。それを、ヨーロッパ、特に英国が利用し、EUにとっては極めて有利な、しかし、日本にとっては極めて不利な京都議定書を作成した経緯がある。
京都議定書が日本にとって不利に働くのは、日本が高水準の省エネを達成した1990年を基準としているからだ。他方、EUは、90年以降、東欧諸国をメンバーに加えたために、ありふれた技術移転で容易にCO2を削減出来る。高水準を達成したあと、さらに省エネしなければならなかった日本と、90年以降、漸く省エネの始まったEUとは大きく事情が異なるのだ。
だからこそ研究会では、なぜ民主党は、麻生前首相も基準年とした2005年でなく、90年を基準年にしたのかと問われた。前田氏の答えは、「それだけの切実感、現実感がなかった」というものだった。意欲は評価するにしても、民主党の無責任が目立った研究会だったと言わざるを得ないのが、なんとも残念だ。